感動の役割分担

バリアフリー観察記2002年

感動の役割分担

「頑張ってくださいね」「応援しています」
 オリンピックが近付くと、選手には実にたくさんのメッセージが寄せられる。その中に「感動を与えてくれる活躍を期待しています」とか「また感動させてください」というものがある。それに応えて選手たちも「感動してもらえるように頑張ります」とコメントしたりする。
 でも「選手にこんなことを言わせていいのかな」と、思うことがある。それだけのことを期待するほど、自分は選手に何かをしているだろうか、と思ってしまう。
 理由も分からない不調に陥ったり、期待の大きさに潰れそうになったり、深刻なケガをしたり……。オリンピックでのメダル獲得を期待されている選手たちは、ギリギリの状態で限界に挑戦している。場合によっては、所属チームが廃部になったりと、まさに必死の日々だ。

 長野オリンピックでは、原田雅彦選手が計測ラインをはるかに越える大ジャンプを見せて団体の金メダルを獲得した。4年前にはアンカーを務めた自身のジャンプで金メダルを銀色に変えてしまったために、重荷を背負った4年間を耐え抜いた末の結果だった。ソルトレークシティ五輪でも、清水宏保選手が直前に起こった激しい腰痛をかかえながら、銀メダルを獲得した。
 それほどシビアな本番を前にした選手に「感動をください」なんて、やはり言えない。

 1975年に、あるインスタントラーメンのテレビCMが放送中止になった。「わたし作る人(女性)、ボク食べる人」というセリフが、家事という仕事を女性の役割だと決め付けているとして問題になった。あれから30年近くも経っているけれど「あなた感動させる人、わたし感動する人」と言わんばかりに、原田選手の失敗ジャンプを責めてしまった自分の姿が重なってくる。

 障害に関する本を読んだり「障害者とその家族」「寝たきりの妻を介護する夫」といったドキュメント番組を見たり、話を聞いたりして心が大きく動かされることが確かにある。その気持ちを著者や番組の主人公に手紙で伝えるとしたら、何と書こう。「感動した」という一言で片付けてしまっては、感動を消費するだけでどんどん言葉が痩せ細っていくような気がしてしまう。
 彼らは、自分たちの姿をあえて人前に出すことで「理解が進めばいい、現実を知ってもらいたい」という社会的な役割を自ら担っている。手紙の中身を想像することはできないけれど、そう考えたら「あなたのような人もいたことに気が付いた」と、さらりと伝えたいと思う。そして、動かされた心で自分には何ができるかを考えたいと思う。

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Last Update : 2003/02/24