自分は人並みにいい人?

バリアフリー観察記2002年

自分は人並みにいい人?

 自分がいい人かどうかなんて考えたことはないけれど「どっち?」と問われれば「まぁ、人並みかな」とは答えるかもしれない。物事の善し悪しの判断や人への思いやりといったものは、そこそこ普通だと思っている。
 でも、二つの体験が、その思いに疑問を持たせた。

 一つは、通勤電車での出来事。60代ぐらいの男性が駅で降りようとしたとき、慌てたのか、自分の足もとに置いていた鉢植えを倒し、二握りぐらいの土が通路の真ん中にこぼれてしまった。男性は一瞬「困った」という顔を見せたけれど、発車を知らせる合図が聞こえ、申し訳なさそうな表情でそのまま電車を降りていった。
 しばらく土はそのままになっていたけれど、電車が次の駅のホームに向かってスピードを落とし始めたとき、私の隣に座っていた70代ぐらいの女性が、バッグからティッシュペーパーを取り出し、自分の足もとに土をかき寄せた。床を4、5回なでるようにした彼女は、ティッシュペーパーを小さく折り畳み、ポケットにしまい込んだ。目の前から土がなくなり、一瞬、自分自身の気持ちがホッと楽になったのが分かった。

 それからしばらくして、お盆休みに祖母の家を訪れたときのこと。久しぶりに顔を見せた孫に喜び、新鮮な野菜や米、クルミの甘露煮などを段ボールに詰め、お土産に東京のアパートに送ってくれるという。とれたばかりのキュウリはみそを付けて、トマトは塩をかけてそのまま食べるのが一番のごちそうで、お土産はいつも楽しみにしているものだ。
 段ボールに荷物を詰め込む様子を眺めていると、箱の口をガムテープでしっかり止めた後、祖母はさらにヒモでまわりを縛り始めた。「ガムテープだけで大丈夫だよ」と言う私への答えは、意外なものだった。
「こうしたほうが配達の人が持ちやすいから」
 祖母は取っ手を付けていた。そういえば、年に何度か祖母から届く段ボールはいつもこうして縛ってあった。思いやりのレベルが、自分とはまったく違っていた。
 自分は特に思いやりの気持ちが欠けているとは思わないけれど、少なくとも人並み以上であると胸を張ることはできないと思える出来事だった。

 録音した声を聞くと、どうも自分ではないと思ってしまう。でも「僕はこんな声してるの?」と聞けば「そうだよ」と返ってくる。自分が思っている自分とまわりの人が見ている自分は、必ずしも同じではない。
 電車の中で大声で携帯電話で話している人を見ると道徳心がないと思ったりするけれど、通路の土をかき寄せたお婆さんからすれば、私は、足もとにこぼれている土さえ知らんぷりする道徳心がない若者に見えていたのかもしれない。

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Last Update : 2003/02/24