台風一過と対岸の火事

バリアフリー観察記2002年

台風一過と対岸の火事

 2001年9月11日は何という1日だったのだろう――。
 関東地方への台風上陸に備えて早朝に出社し、暴風雨が吹き荒れた昼ごろには1日の仕事をほぼ片付け終えるという手際の良さ。夕方には台風が通過すると見越して知人との食事の予定を入れていたけれど、会社を出るころには雨も止み、まさに万事が計画どおり。久しぶりに「自分で自分を褒めてあげたい」と思ったりしていた。

 夕食を終えて帰宅すると、何やらテレビが慌ただしく事故の模様を伝えていた。ハイジャック機によるアメリカへのテロ攻撃が起こったという。錯綜する情報を伝えながら、画面では世界貿易センタービルに2機の飛行機が時間差で激突・炎上する模様を繰り返し映し出していた。
 日付をまたいでまでクギ付けになりながら、そのうち、おかしな感覚に気付いた。現実感がない……。地上400メートルを越す110階建ての2棟のタワーがモクモクと黒煙を上げながら、膝を砕かれるように一気に崩れ落ちる様子を見ても、まるで映画を見ているような感覚。死傷者は数千人に達する模様という報道にも……。95年1月に起こった阪神淡路大震災、その2カ月後に東京で起こった地下鉄サリン事件でも、同じような感覚があった。いずれも数千人規模の死傷者が出た大惨事だった。

 翌朝、知人から1通の電子メールが届いた。
「戦争が起こりませんように。」というタイトルの内容は、次のようなものだった。
  昨晩のニュース、びっくりしましたね。
  沖縄にいる私はどきどきします。
  戦争が起こったら沖縄基地から戦争に出かけていくんです。
  そして、沖縄も攻撃されるかも知れません。
  基地があるということはそういうことです。
  アメリカが戦争なんて考えませんように。

 ともすれば、という緊張感が高まっていることは、沖縄に住んでいなくても感じていた。身近な人にとって切実な問題だったと気付いたとき、テロ事件がようやく少し、対岸の火事とは思えなくなった。そういえば、能天気に台風一過を喜んでいたまさにそのとき、台風は大学時代の友人がいる東北地方を直撃していた。
 他人事のように思えていても、実は自分自身の問題だったということがある。つい最近まで、まるで他人事だったバリアフリーというテーマも、何かにつけて不自由を感じている祖母や祖父が身内にいるという意味で、すでに自分自身が直面していた。

 毎日2袋分は出るゴミ、排気量が増えてガソリンをよけいに消費するようになった自家用車、よく落ちるけれど水を汚していそうな合成洗剤、寒くなるほど室内を冷やしながら地球を暖めているクーラー……。機関銃のように降り注ぐテロ事件の続報を浴びながら、実は自分の問題であるはずなのに他人事に思えていることは、まだまだ身近にあるのではないかと思ったりした。

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Last Update : 2003/02/24