だれかのための一人

バリアフリー観察記2002年

だれかのための一人

 戦禍の中で銃を手にする子どもたちの姿を見るたび、日本に生まれてきて本当によかったと思う。飢餓に苦しむ人々や子どもたちのニュース映像を見るたびに、思わず息子たちの顔を重ね合わせてしまう。生まれてきたこと自体が天文学的な確率なわけだけれど、その中でも豊かで平和なこの国に生まれてきたことは、何と奇跡的なことだろう。

 日韓のサッカー・ワールドカップを前に報道されたニュースを見て、絶望的な気持ちになった。世界中で使われているサッカーボールのほとんどが、パキスタンとインドで作られている。その働き手は5歳から14歳の子どもたちで、一つひとつを手作業で縫い合わせて、1日3個をやっとの思いで仕上げる。革のボールを実際に蹴ってみると、ゴムのボールと違って、足の甲が腫れてしまうほどに硬い。作業は厚く硬い革に針を刺していく過酷なものだけれど、丸1日の賃金は50円にも満たないという。アッという間に飲み干してしまう缶ジュースさえ買えないくらいのお金を得るために、小さな子どもたちが学校にも行かず、細い指を傷めながら必死にボールと格闘する姿を想像したら、思わず涙が出てきた。
 想像を絶するほど苦しい境遇の人たちが世界のあちこちにいるという事実には、自分で自分がはずかしくなるほどに無頓着だった。

 こんなことを思うときはいつも、日本の平和や豊かな経済に、自分はどれほど貢献しているのだろうかと考えてしまう。ご飯や野菜や肉を食べ、靴をはき、車や電車に乗り、パソコンを使ってテレビを見る……。何一つ自分で作り出したものなんてない。日々仕事をして生活の糧を得てはいるけれど、そのことが、これほどの平和や豊かさにどれほど貢献しているかなんて、想像することさえできない。

 何カ月も前に作った雑誌なのに、初対面の人に「あれはいい企画だったね」と言ってもらえると「だれかの記憶に残る仕事をしていたんだ」と確認できてうれしくなる。世の中の役割分担が進んで自分の役割を自覚しにくくなっているけれど、そんなことをつなぎ合わせながら何とかやっている。
 いろいろな人たちが積み重ねてきた努力の上に自分の生活があることを思いながら、結局、だれかに支えられながら日々の暮らしを送っている、一人じゃなくて本当によかった、としみじみと思う。

 子どもが生まれるとき「五体満足で生まれてきてほしい」と願い、無事に生まれてきたときには、ホッと胸をなで下ろした。親としては当然の気持ちだとは思いながらも、それが、差別意識の表れなのかどうかは、判断が付きかねている。生まれ変われるとしたら、自分自身も五体満足で生まれてきたいと思っているし、運命というものがあるならば、ケガや病気をしない星のもとに生まれてきたいとも思う。それが差別意識だと言われれば、返す言葉は見つからない。

 でも、自分は選ばれた人間だなんて思わない。これといった不自由を感じることなくいられることは、豊かな日本に生まれてきたことと同じくらいに偶然の結果でしかないと言い聞かせている。まわりを見渡せば、自分一人の力ではどうすることもできないような悲しい現実がたくさんあるけれど、だれかのための一人になれたら、と思う。

トップへLink

Last Update : 2003/02/24