未知との遭遇

バリアフリー観察記2002年

未知との遭遇

 通勤電車の中で、不自然にスペースが空いている車両に乗り合わせたことがある。見ると、30歳くらいの男性がうなり声を上げ、その横で60歳ぐらいの女性が肩を小さくしていた。知的障害がある息子さんとお母さんだったと思う。男性は大勢の人がいることに興奮しているのか、電車に乗れたうれしさからか落ち着きがなく、窓から外を見たりお母さんにちょっかいを出したりしている。周囲の視線を気にしてか、申し訳なさそうにしているお母さんの気持ちを察しながら、私自身、どうすることもできなかった。

 幼いころ、理解できない言葉でしゃべり、体が大きく、髪は黄色で目は青い外国人は、何となく怖い存在だった。子ども心に、見慣れないものに対する防衛本能が働いたのかもしれない。本当は優しいかもしれないし、友好的かもしれないけれど、何を考え、どんな行動をするのか分からないという思いが強い分、見慣れないものには大きな恐怖心が生まれる。電車の乗客も、同じような気持ちだったのかもしれない。

 人を見かけで判断してはいけない――その教えを実感させてくれたのは、90年代のロックシーンを席巻し、小泉首相までファンにしてしまったX JAPANというグループだった。腰までありそうな金髪を荒々しく逆立て、唇やまぶたは黒く縁取り、黒いコートで身を固めた彼らは、ビジュアル系ロックバンドのカリスマだった。風ぼうのインパクトは異様なほど強く、テレビに映る姿は実に近寄りがたい印象だった。でも、TOSHIのボーカルはすんだ透明感があり、YOSHIKIのピアノは美しく、心に迫ってくるものがあった。見かけの威圧感と、作品の繊細さのギャップの大きさに魅かれた。

 茶髪、顔黒、鼻ピアス――髪を茶色に染め、顔を黒く日焼けさせ、耳や鼻にいくつものピアスをする若い人たちが登場したころは、自分が高校生だったころとのあまりの違いに驚いたけれど、毎日のように彼らを見かけているうちに、何を考えているのか分からない、という不安な気持ちはいつの間にかどこかへ消えていってた。混雑している電車の中でも大声でうるさくしゃべるけれど、しゃべり方におかしなイントネーションがあるけれど、結局、見慣れてしまったのだ。

 重い障害を持った子ども連れて積極的に外出する保護者がいる。「障害について理解してほしい」「自分たちが社会の中にいることを知ってほしい」――そんな思いに動かされている。障害当事者の中にも、同じ思いを持ちながら街に出て、電車に乗り、買い物をし、遊園地に出かけたりする人もいる。
 今はまだ、彼らが役割として「未知との遭遇」を演出しなければ人々の目に触れる機会は少ないけれど、電車やバスの中に車いす使用者がいる風景は、それほど珍しくはなくなってきた。そのおかげだろうか。車いすに乗った茶髪で顔黒の若者を見かけたとき、さほどの驚きがなかった自分が、何となく嬉しかった。

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Last Update : 2003/02/24