本日も「バリ観」びより

バリアフリー観察記2002年

本日も「バリ観」びより

「見えているのに見えないもの」ってあると思う。通勤のときには毎日同じ道を行き来するものの「花」としか思っていなかったものが「パンジー」だと知ると、あちこちの家の庭に植えてあることに気付くようになる。子どもがお腹の中にいたころ、妻は「妊婦ってこんなにいたかな?」と思うほど街の中で見かけるようになったと話していた。

 同じことは、バリアフリーといったテーマについても言える。出入り口の幅が狭いと車いすに乗ったままでは利用できないと知ると、公園でトイレに入ったときや、出張でビジネスホテルに泊まったときにも、出入り口の幅が気になったりする。それまでは漫然と見ていた車いす使用者用の駐車スペースについても、どこでも出入り口の一番近くに場所が確保されていることに気付くようにもなった。また、買い物袋をそのまま渡されるより、口を開けて渡されることを嬉しく感じている高齢者がいることも知った。

 わずかの期間だったけれど、障害がある人を対象にした情報誌の編集に携わったことがある。それは、私にとっての異文化体験そのものだった。ある人は「目も見えず、耳も聞こえないけれど、旅行に出かけたりスキーで滑り降りたりするのが好き」と話してくれた。また、車いすに乗っている女性は「自分は和室では生活できない」と教えてくれた。車いすで移動するため、畳ではすぐにボロボロになってしまうのだそうだ。

 言葉や生活習慣が違う外国での生活を体験して、それまでは見向きもしなかったお茶や能といった日本の文化に関心を持つようになったという知人がいる。障害者と健常者の間にもそんな視点があったら面白い。違いがあることが当たり前だと認められるようになってきたからこそ「異文化との接点」とでもいうべきお互いの共通点を模索したい。

 私はバリアフリーの専門家ではないし、障害がある人と日常をともにした経験もない。障害というテーマに長らく取り組んでいる人たちからすれば、ただの通りすがりだ。ところが、そんな自分でも、無関係に思えていたバリアフリーと自分自身との共通点が次々と目に入ってくる。
 携帯電話が普及して電話ボックスの出入り口の狭さに困らなくてよくなったという車いす使用者がいれば、文字をやり取りできるようになって、ファクシミリがない外出先からでも連絡が取りやすくなったという聴覚障害者もいる。彼らの喜びは、携帯電話を手放せなくなっている自分とまったく同じだった。ほかにも、妊婦や小さな子どもを連れている人も電車の座席を必要としていること、洋画には字幕が付いているために耳が不自由な人の中にもレンタルビデオ利用者が多いこと、ライターは片手でも火をつけることができるように工夫されバリアフリー商品だったこと、などなど。

 バリアフリーについて観察していると、見えているようで見えていなかったもの、感じているようで感じていなかったことに次々と気付く。そのたびに目の前の景色が変わっていき、一番知っているはずの自分のことでさえ、新しい発見をしたりもする。そもそも、自分がバリアフリーに興味を持つなんてことは思ってもみなかった。最も身近な異文化は、自分の中にあった。
 こんなに楽しいことが放置されているなんて奇跡ではないか――そう思うと、いつもと同じように見える光景にも自然とワクワクしてしまう。

『バリアフリー観察記』は、話を聞いたり、資料を通して知ったりした細切れの事実を、身のまわりを観察しながらパズルのようにつなぎ合わせてできている。言ってみれば、発掘した化石や土器の破片の足りないところを、想像という石膏でつなぎ合わせているようなものだ。身近にありながら気付かずにいたこと、これは面白いと感じたことをつれづれにまとめている。
 障害者のためにとかお年よりを思いやってとかいうことではない。“バリアフリー観察を楽しむ”という体験を通して、新しい自分を発見していただけたらうれしく思う。

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Last Update : 2003/02/14