小銭はだれのためにある?

バリアフリー観察記2002年

小銭はだれのためにある?

 ハードな打ち合わせを終えた後の缶コーヒーの、何と美味しいことか。自分へのご褒美! といった感じだ。それだけに、1円玉や5円玉混じりの120円しかないときのガッカリとした気持ちは、表現のしようがない。
 その1円玉や5円玉をため続けている知人がいる。ぎっしりと小銭がつまった迫力あるペットボトルが、彼の机のまわりを見事に飾っている。1989年に消費税が導入されて以来、買い物をするたびにお釣りとして受け取ったものをため込んでいるという。曰く「面倒な小銭のやり取りを増やした消費税に対する反対運動」だそうだ。

 消費税のおかげで、暗算をする機会が増えた。レジでできるだけ小銭をもらわないようにするにはどうすればいいか――。360円の買い物をしたときは、500円玉に10円を足して150円のお釣りを受け取る。そのほうが、財布に残る硬貨が4個少なくてすむからだ。
 コンビニやスーパーのようにレジスターを使っているところでは問題がないけれど、小さな病院の窓口や個人商店などでは、余分に加えた10円の意味が伝わらずに、一瞬「?」という表情が浮かぶことがある。347円なんていうときは暗算の意欲が一層かき立てられるものの、窓口の人の顔には「?」どころか、怪訝ささえ漂ってしまう。
 そのたびに「そんな払い方はやめなよ」と妻に言われるけれど、お札にたくさんの小銭を載せて渡されるとその処理にてこずるし、小さな小銭入れはすぐにパンパンになってしまう。そもそも、こまか過ぎるコインは財布を膨らませて存在感を示す割には、使い道が少ない。小銭は、お金を受け取る側がお釣りを払うためには必要性が高いものの、代金を支払う側にはその必要がないのだ。

 消費税が導入されるずっと前から、日常的に増え続ける小銭に手を焼いているのは耳が不自由な人たちだ。聴覚障害者は、買い物に出かけるときには常に大きなお札を用意する。レジで「○○円です」と言われても聞こえないため、大きなお札で支払ってお釣りを受け取るためだ。500円ぐらいの買い物をすれば1000円札で支払うし、食材をまとめて買うような場合は1万円札で支払う。合計金額が客側にも見えるレジが増えてきてはいるものの、そうでないところもたくさんある。聞こえない人は見た目にはそれとは分からないため、店員さんの配慮もなかなか行き届かない。
 かくして手元にはものすごい勢いで小銭がたまり、銀行や郵便局で頻繁に両替をすることになるわけだ。

 最近は、銀行や郵便局のキャッシュカードで買い物ができる店が増えてきた。すでに持っているカードをレジで提示すると、店員さんが端末に金額を打ち込み、商品を買った人が暗証番号を打ち込んだ瞬間に口座から代金が直接引き落とされる「デビットカード」という仕組みだ。
 パソコンや車を買うときにも大金を持ち歩く必要がない上に、お正月やゴールデンウィークといった長期の休みに備えてATMの前に長時間並ぶ必要がないのがウリ。先々はスーパーやデパートの店頭で現金を引き出すことができるサービスの導入も検討中だという。

 現金を持ち歩く必要がなくなることのメリットは、聞こえない人が小銭の山から解放されるだけでなく、思うように動かない指先でやっとの思いで1円玉や5円玉をつまみ出していた高齢者だって、後ろに並んでいる人たちの無言の圧力から解放される。お札の識別に苦慮している目が見えない人にとっても朗報だ。暗証番号を打ち込むという方法は、クレジットカードのようにサインをするより手軽で、手が不自由な人にも便利そうだ。

 携帯電話に決済機能を持たせたり、電子メールのアドレスを利用してインターネット上で送金ができるようにしたりと、現金を直接やり取りしない決済方法が考えられている。これらが普及すればお金にまつわるいくつもの不便さが一気に解消されるだけに、今から期待を膨らませている。

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Last Update : 2003/02/24