信頼と裏切り

バリアフリー観察記2002年

信頼と裏切り

 ミュージシャンの宇多田ヒカルさんの魅力は、鋭い観察力とその表現力だと感じる。彼女の公式サイトではときどきファンに向けたメッセージが紹介されているけれど、2001年10月9日の内容には、ズキッ! と突き刺さってくるものがあった。

『一人の子供が深く傷ついて、泣いてるところを見ると、なんだか「人類」っていうもの全部が泣いてるような気がするのね。そして全人類でその子を守ってあげなきゃいけないような気がするの。守ってくれるはずだった人に裏切られた時って、世界のもの全てに裏切られたような感じ、するじゃない?』
 9月11日に起きたテロ事件についてのコメントだ。アメリカによる報復爆撃で「どこかでその子がもっと泣いてるような気がする」「21世紀が泣いてる……」と綴っている。
 心に深く切り込まれながら、以前に出会った50代後半の盲聾の女性のことを思い出していた。

 三味線の師匠をしていた彼女は、あるとき、聴力と視力を完全に失った。音も光もない世界に投げ出されたとき、初めは死ぬことばかりを考えていたという。その彼女が、今では北海道から九州まで友人を訪ね歩き、スキー、水泳、ゴルフ、釣り、そして旅行と、多忙な毎日を送っている。真空のような世界にいるはずの彼女が持つ圧倒的な元気さと明るさは、からかってるの? と疑ってしまうほどに底抜けだった。
 そんな彼女が話の中で口にした一言は、おそらく生涯忘れられない。
「何も見えないし何も聞こえないんだから、人を100パーセント信じるしかないじゃない」
 そうしなければ生きていくことができないという現実的な理由があるにせよ、その言葉の響きに、涙が流れるほど心がゆさぶられた。

 たとえ目の前に断崖絶壁が広がっていても、出会った人に「大丈夫ですよ」と言われれば彼女は疑いもせずに前に歩いていくのだろう。銀行で生活費を下ろすときには見ず知らずの他人に暗証番号と必要な金額を伝え、何万円も余分に下ろされても、彼女はお願いしただけの金額を受け取って「ありがとうございました」と頭を下げるに違いない。

 無条件に他人を信じながら生きている彼女の日常について思いを巡らせながら、胸が熱くなっていくことを抑えることはできなかった。

 街の中には、彼女の生活を日常的に支えているものがいくつかある。でも、その一つひとつを眺めてみると、見えない人たちが置かれている理不尽な状況を思い知らされる。

 ビルの階段に取り付けられた手すりを目で追うと、階の間にあるフロア部分は省略され、次の階段から再び始まっているところがある。廊下の壁の手すりも、途中で途切れ、20〜30センチ先からまた続いているものが結構ある。道の点字ブロックも、突然に途切れていたり、自転車が遮っていたり、ジュースの空き缶が転がっていたりする。駅の壁に「雨の日は点字ブロックが滑りますのでご注意ください!」なんて張り紙を見ると、思わず目を伏せてしまう。見えない人は全幅の信頼を置いてこれらを頼りに移動しているものの、その信頼は、いとも簡単に裏切られてしまう。信頼する側とされる側の温度差は、いつも大きい。

 命を預けたものに裏切られる心境は、家族や親友に崖から突き落とされる感覚に似ているのかもしれない。それを想像するときの気持ちは、親に虐待されて亡くなった子どもやいじめを苦に自殺した中高生のニュースを聞くときに似ている。
 街のあちこちでそんな場面を目にするたびに「人を100パーセント信じるしかない」という彼女の言葉を思い出す。

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Last Update : 2003/02/24