発想の転換

バリアフリー観察記2002年

発想の転換

 日本人の21人に一人が障害者だと聞けば、一瞬「桁が違うんじゃない?」と思ってしまう。内閣府の資料に「国内の障害者は約560万人」と書いてあっても、にわかには信じがたい。何しろ、一家4人とすれば、実に5軒に1軒の割合で家族に障害を持った人がいる計算になるのだから。

 実は、この数字の半数が65歳以上の高齢者だった。成人病や老化によって体が不自由になった人たち。つまり、年を取って体の機能が衰え、立ち上がることができなくなったり寝たきりになったりすることも、障害としてカウントされていた。この事実は、目が覚めるほどに新鮮だった。
 生まれながらに目が見えない、耳が聞こえない、知的な発達に遅れがある、精神に障害がある、事故で手足を失った……。障害とは難病やハプニングの結果で、年を取ることによる体の機能の衰えは単なる老いだと思っていた。それが、どちらも同じというわけだ。

「老化で視力が落ちた人も、耳が遠くなった人も、痴呆になった人も、統計では視覚障害者や聴覚障害者、知的障害として扱われているのですか?」
 あまりの衝撃で、思わず受話器を取って投げかけた質問に対する厚生労働省の方の答えは、さも当然そうに「はい、そうです」だった。ただし、痴呆については、知的障害ではなく精神障害に分類されているという。

 駅の階段で、手すりにしがみ付くようにして一段ずつゆっくりと降りているおばあさんを見かけることがある。その様子は、白い杖をついて恐るおそるステップを確認しながら下っている若者と何ら変わらない。
 祖母は膝に水がたまってうまく歩くことができないし、祖父も最後はずっと寝たきりだった。義理の祖母は歩くスピードが極端に遅いし、耳が遠くて電話をかけても十分に話が伝わらない。それどころか夜に顔を合わせても「おはようございます。あら、早いのねぇ」と、話がとんちんかんになってきた。そのうち、ままごと遊びをしていたひ孫たちが無邪気に差し出した粘土のおだんごを本当に食べてしまい、怖くなったひ孫たちたちが泣いてしまうという事件まで起こった。

「障害」という言葉は何か特別な印象を抱かせる。でも「不便さ」「不自由さ」と言い換えたら、とても身近に感じられるようになる。
 電車のシルバーシートが「優先席」と名前を変えたことで、それまでは「体の不自由な人とお年よりに席をお譲りください」と表示されていたものに「乳幼児を連れている人」と「妊娠している人」が加わった。これは、障害ではなく「不自由さ」「不便さ」に注目した発想だ。障害者という特別な人がいるわけではなく、不自由をしている人、不便を感じている人がいるという発想と言えるだろう。

 日本人の多くが長生きできるようになったことで、体の不自由さはすべての人に共通する問題になった。老化はすべての人に平等に訪れるという認識を共有し、それについて自然に考えられる環境になってきた。障害者のために何かをするのではなく、身近な人が感じている不便さや不自由さを解消するという視点を持つことで、バリアフリーは「当然のこと」「当たり前のこと」として受け入れられるようになるのではないだろうか。

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Last Update : 2003/02/24