頑固デザイナーの教え

バリアフリー観察記2003年

頑固デザイナーの教え

 トイレ用のスリッパに「トイレ」と書かれているものは絶対に買わない、という知人がいる。一見してトイレ用であることが明らかなのに、あえてそれを強調するのはむしろおかしい、というわけだ。彼はベテランの雑誌デザイナーだけれど、そんなことは特に気にならないと言っても、「その無神経さが理解できない」と最後まで譲らなかった。

 気が付くと、近所の不動産屋さんの建物が取り壊されて更地になっていた。「これも時世柄か」と思ったが、以前、店の前でヒラヒラとはためいていたノボリのことを思い出した。
「お客様第一主義」
 わずか2年ほど前、そう書かれたノボリがこの店の入り口に突然立てられた。お客さんを大切にする姿勢をPRしているのだとは思いながらも、違和感があった。

 例えば「患者第一主義」なんて貼り紙がある病院には行きたくないし、「被害者第一宣言」などという垂れ幕を下げた警察署があれば、信用できそうにない。工事現場の「安全第一」という看板は工事をする自分たちに向けたものだけれど、「お客様第一主義」というノボリの違和感は、それがお客様に対するPRとして使われていたことに原因があった。
 当たり前に思えることをことさらに強調されると、心のありようが透けて見えるようで疑念が湧いてきてしまうのだ。

「バリアフリー」という言葉が一般的になり始めたのは、1997年ごろだった。翌年に長野パラリンピックが控えていた当時は、ムーブメントとしてこの言葉が爆発的に広まった。と同時に、家の中の段差をなくした住宅が発売されたり、盲導犬を店内に受け入れるスーパーが登場したり、車いすのまま乗り降りしやすい低床バスが導入されたりと、バリアフリーへの配慮を“ウリ”にした多くの商品やサービスが誕生する流れができた。
 現在は、より多くの人を対象にした「ユニバーサルデザイン」の商品やサービスの提供へと発展しているけれど、街の中には「障害者用」であることを強調した施設やサービスがあちこちに存在する。これらがアピールするものではなく、「安全第一」と同様に心のありようとして位置付けられるまでには、今しばらく時間がかかりそうだ。

 それでも、時代は確実に進歩している。とても近代的で立派な建物に「障害者専用トイレ」しかなければ、赤ん坊や大きな荷物を抱えた人のように、広いスペースを必要としているすべての人が使えるように配慮されていないことの貧しさを感じるようになってきた。自分自身のものの見え方がそんなふうに変化していることを実感しながら、「トイレ」と書かれているスリッパを受け入れなかった頑固デザイナーの気持ちが、ようやく理解できた気がした。

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Last Update : 2003/03/04