目の前の空席は誰のもの?

バリアフリー観察記2003年以降

目の前の空席は誰のもの?

 通勤電車でつり革につかまっていたときのこと。電車が次の駅に滑り込むと、目の前に座っていた男性が立ち上がってホームに降りていった。会社までは約1時間。乗車直後に訪れた幸運は、この日1日がハッピーに満ちていることを予感させた。
 しかーし!
 カバンを網棚に上げて“さてっ”と思った瞬間、目の前に、一人の女性がズリズリと平行移動。次の瞬間、左隣に立っていた女性が、空いたスペースにドスンと腰を下ろした。突如として訪れたラッキーチャンスは、こうして、二人連れのおばさまの見事な連携プレーによって打ち砕かれた。

 似たような出来事が、その後にもう1度起こった。
 その日はそれほど混んではいなかったが、長イスの端の席の正面でつり革につかまっていた。目の前の女性が席を立つと、隣に座っていた若い男性がこれまたヒョイっと横にスライド。結局、その人が最初に座っていた端から2番目の席に座ることに。
「そんなの、あり?」とは思ったが、衝撃を受けたのはその後だった。この男性が、途中で乗車してきたおばあさんに席を譲ったのだ。非常識に思えたはずの男性の模範的な行動に、正しいことと正しくないことの境界線がどこにあって、自分がどの辺にいるのかが分からなくなった。

 酔って通路に寝ている人、痴漢をして連行される人、満員の最終電車のなかでつかみ合いの喧嘩をしている人……。1日に2時間も電車に乗っていると、実にさまざまな出来事に遭遇する。そのなかで、丁寧な口調なのに大声で商談をしている人や、二人分のスペースに座っている人にあきれ顔を見せながら長電話を始める人に遭遇したりすると、物事の判断基準は、人によって実にさまざまなのだと実感する。

 そしてまた電車のなかでは、自分が周りの人にとって常にモラルがある人間で居続けられるわけではないことを学んだりする。
 中途半端に幅をとっている男性の横に、座ったことがある。やや窮屈ではあったが、気の休まらない仕事が続いたためか、心地よい揺れに誘われて、すぐに眠り込んでしまった。気がつくと、すでに男性の姿はなく、隣にはおとなしそうな女性がちょこんと座っていた。ところが、彼女との間には先ほどの男性がつくった座れるようで座れない中途半端なスペースが……。幸い、目の前にはだれも立ってはいなかったものの、年老いたおばあさんが立っていたりしたら、非常識な人として冷たい視線を浴びていたに違いない。
 もとをたどれば自分が悪いわけではなくても、周りの様子が変わったことに気付かずにいるだけで、期せずしてマナー違反の人間に見られてしまうこともあるわけだ。

『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(Link)という人がいる。社会人になって再び砂場に舞い戻ることはできないが、大人には大人の、学びの場が用意されている。

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Last Update : 2005/02/06