ダルビッシュ投手喫煙問題にみる罪と罰

バリアフリー観察記2003年以降

ダルビッシュ投手喫煙問題にみる罪と罰

 鳴り物入りでプロ野球・日本ハムに入団した宮城・東北高校のエース、ダルビッシュ有投手の喫煙が発覚し、ファンをがっかりとさせた(Link)。150キロのストレートと多彩な変化球を武器に、一昨年夏の甲子園ではチームを準優勝に導き、昨年春の選抜高校野球ではノーヒットノーランを達成。ドラフトの目玉選手でもあっただけに、騒ぎが大きくなった。
 それだけに球団の対応は早く、事実が判明した翌日には「球団寮での謹慎処分と社会貢献活動への参加を科した」と発表した。未成年ながらの実名発表は、プロ野球選手という社会的な立場の厳しさだろう。だが、球団の発表内容を知って“またか”という思いをもった。

 社会貢献活動が罰として使われることは、決して珍しいことではない。オリンピックの陸上競技金メダリストのカール・ルイス氏(米国)が一昨年に飲酒運転で逮捕されたときには、3年の保護観察と罰金500ドルとともに、200時間のボランティア活動を科されたことが話題になったことがあるように、日本だけのことでもない。

 社会貢献活動が更生のための有効な手段か否かの判断は専門家に任せるとして、危惧するのは、今回の発表内容を知った人たちやダルビッシュ投手本人が、社会貢献活動にネガティブなイメージをもってしまうのではないか、ということだ。

「健康のために走りましょう」「筋力をつけるために腕立て伏せや腹筋運動をしましょう」と教えている体育教師が、その運動を罰として与えたらどうなるか――。体操着を忘れたら腕立て伏せ30回、遅刻をしたら腹筋運動20回、片付けをサボったらグラウンド3周……。私自身、体育の授業や部活動でこれらの経験をしたことがあるが、これでは、走ったり筋力をつけたりするための運動は「つまらないことだ」「だれもがしたくなことだ」と教えているのと同じで、体育教師自らが体育を否定していることになる。

 著名人のチャリティーゴルフ大会が行われたり、漫才コンビによる高齢者施設への慰問が話題になったりするのを見聞きすると、こういったことがきっかけになって関心を持つ人が増えればいいとは思う。ところが、チャリティーの方法がミスショットの罰金だったり、慰問の理由が暴力事件の反省の気持ちを表すためだったりすると、チャリティーや慰問活動に対して誤ったイメージが生まれなければいいがと、ついつい気になってしまう。

 罰として、殴ったり蹴ったりという暴力を使うことの問題点は明らかで分かりやすい。ところが、福祉活動や奉仕活動といった社会的な貢献を使った罰が持つ「誤ったメッセージを人々にすり込んでしまう」という盲点は、なかなか気付くことができない。

 将来を嘱望されている選手のつまずきは確かに残念なことではあるが、今回の一件は、本人自身の努力で簡単に取り返すことができるレベルのものだ。だが、謹慎処分と同列で科された社会貢献活動について誤ったイメージが日本中に広まったとしたら、それを元に戻すために要する時間と労力は、簡単に想像などできるレベルではない。

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Last Update : 2005/02/23