いわれなき常識

バリアフリー観察記2002年

いわれなき常識

 自分の将来を想像すると、35歳を超えた今でもワクワクとしてくる。家を設計したり、行く先についてあれこれと想像しながら旅行の計画をするような気持ちと似ている。でも、その夢が意外なところで制限されてしまうことがある。例えば、目が見えない、耳が聞こえない、話すことができないといった人はつい最近まで医師、歯科医師、看護婦、保健婦、助産婦、薬剤師などになることができなかった。これらの障害がある人には免許や資格を一律に認めない、いわゆる欠格条項があったためだ。でも、聴覚に障害がある女性に薬剤師の免許が交付されたり、障害の有無ではなく、仕事に支障があるかないかで判断されるようになってきた。

 元大相撲の舞の海は、技のデパートと評されるほど多彩な決まり手で、若貴フィーバーとともに90年代の大相撲人気を支えた功労者だ。その舞の海も、欠格条項という壁にぶつかった一人だった。力士になるためには、年に一度行われる新弟子検査をパスする必要がある。検査項目は単純明快。満23歳未満の男子で、身長が173センチ以上、体重が75キロ以上であること。背が170センチしかなかった舞の海には本来、受験資格がなかった。ところが、目の前に立ちはだかったこの生物学的難題を、舞の海はこともあろうに頭蓋骨と頭皮の間にシリコンを注入するという荒技でクリアしてしまった。まるで恐竜のように盛り上がった異様な頭の上げ底力士を「規定をクリアしたから」と合格にしてしまう杓子定規ぶりが滑稽ではあるけれど、入門後は早々と幕下を通過して最軽量関取となり、幕内6年、技能賞5回、三役まで務める活躍ぶりだった。小さな舞の海が大きな力士を相手に技を駆使して土俵を沸かせ、相撲人気に大きく貢献したことは何と皮肉な話だろう。

 プロ野球・ヤクルトスワローズのキャッチャー古田敦也選手も、同じような経験をしている。バッターやランナーの動きを洞察する目、バッターの癖を見抜く能力に長け、今では「日本球界の頭脳」とまで称される名プレーヤーながら、ドラフトで古田選手を指名することをためらった球団は多かった。左右に気を配る必要があるキャッチャーには広い視野が必要で「メガネをかけた選手は使いものにならない」というのがプロ野球界の常識。古田選手は、そのメガネ選手だった。学生時代からその肩の強さは知れわたっていたものの、結局、卒業時にはどこからも声がかからなかった。

 それでも、社会人野球で能力をフルに発揮した。1988年のソウル・オリンピックではあの野茂英雄投手とバッテリーを組んで銀メダル獲得に貢献。これを機に、翌年のドラフトでようやくヤクルトへの入団が決定した。

 舞の海の登場で、相撲界では規定を下まわる身長や体重でも入門できる特例が認められるようになった。また、古田選手の活躍で、野球界の常識はどこかへ消えてなくなった。

 有形無形のいわれなき常識は、身のまわりのあちこちに点在している。これらは偏見とか先入観とか固定観念などと言われて第二の舞の海や古田選手の登場を阻んでいるけれど、現実は、常に前例や常識の先をいっている。不可能だと思われていたことに挑戦する人が登場したり、これまではできなかったことが科学技術の発達で簡単にできるようになることもある。チャンスさえ平等に与えられれば、いとも簡単に覆ってしまう常識はあちこちにありそうだ。前例を覆す人が現れたとき、常識はいとも簡単に覆される――。偉大な先人たちが、身をもってそれを証明している。

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Last Update : 2003/02/24