素人という多数派

バリアフリー観察記2002年

素人という多数派

 車いすに乗っている男性が駅の階段を下りるのを手伝ったことがある。車いすを押すのは初めてだったけれど、割と気軽にホイホイッと引き受けた。「では、押しますよ」と伝えて、階段に向かう。意外に軽く、気持ちがいいくらいにスーーッと進んでいった。ところが突然、男性は慌てて私を制止した。
「ちょっ、ちょっとストップ! ストップ!!」
 後ろから見ていても、その慌てぶりは相当なものだった。押すのが速過ぎたかな? と思ったが、そうではなかった。
「後ろ向きに降ろしてください」
 不慣れな私は、ためらいもなく前向きに階段から降ろそうとしていた。何十段も続く階段を目の前にした男性は、どんな気分だっただろう。

 どうやら、まず車いすを180度回転させて、後ろ向きに下ろすのが正しいらしい。正面からでは、車いすから放り出されて転げ落ちてしまいそうな怖さを感じるのだそうだ。なるほど! 子どもをベビーカーに乗せて出かけるときには自然と後ろ向きに降ろしていたけれど、車いすを押すという初めての経験で、すぐにはそうと思いが至らなかった。
「どうもありがとう」
 男性はそう言って笑顔で去っていったけれど、表情からは、怒りとも恐怖ともうかがえる緊張が見て取れた。

 もう10年近く前になるだろうか。女性のアナウンサーがプロ野球や競馬の実況をしたことがある。新しいイメージのスポーツ中継を模索するテレビ局の取り組みだったけれど、慣れていないだけあって、ポイントがズレていたり間が悪かったり……。まるでツボを外した指圧のように心地が悪く、決して見やすくはなかった。むしろ、面白くない! というほうが正直だ。

 それにしても、いつもとは明らかに違う解説者の態度が印象的だった。目が肥えた男性が実況をするとき、解説者は話を補足したり感想を述べたりすることがほとんどだけれど、女性が担当のときは、不慣れな実況をうまくサポートするような話し方をしていた。
「彼女をもり立てて、少しでもいい中継にしてやろう」
 そんな親心が伝わってきた。
 その協力を引き出したのは、相当に緊張し、上手くはないなりにも一生懸命に伝えようとしているアナウンサーの姿勢だったと思う。番組が終わるころには、見ているこちらも「見守ってやろう」という気持ちになっていた。

 障害がある人にとっては、毎日がサポートを必要とする場面だらけなのだと思う。でも、街の中には、男性を階段から突き落としそうになった私のように、サポートが下手だったり、ドキッとさせてしまったりする人のほうが多いかもしれない。身の危険にさらされれば、怒りがこみ上げてきても当然だ。でも、顔をこわばらせながらも笑顔を向けてくれたあの日の男性のように「次は失敗しないようにこの人を育ててやろう」といった親心が、理解者を増やしていくこともまた事実だと思う。

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Last Update : 2003/02/24