当事者以外の理解者

バリアフリー観察記2002年

当事者以外の理解者

 玄人、プロフェッショナル、専門家……。それぞれの分野で、その道に詳しく卓越した知識や能力を持つ人がいる。そこには「素人は口を出すな!」と言われそうな、足を踏み入れにくい雰囲気がある。でも、どんな世界にも専門家ではないからこそできることがあるのではないか、と思うようになった。

 沖縄がかかえる問題に関心を持っている知人がいる。地元の新潟で高校の教員になったものの、夏休みや冬休みになると、決まって沖縄に出かけていく。沖縄県の教員になろうと思う――。あるとき彼女はそう打ち明けた。沖縄の問題を沖縄の中で考えるためだという。決意は、変わりそうになかった。
 そのときに提案したのは「沖縄の問題には、君にしかできない別のかかわり方があるのではないか」ということだった。「沖縄に関心を持つ沖縄県人以外の理解者」としてのかかわり方だ。問題を、中からではなく外から考えることは、彼女だからこそできることに思えたからだ。

 彼女が関心を持っているテーマの一つは米軍基地の問題だったけれど、沖縄県以外の人が真剣に考え、発言することで、日本にある米軍施設区域の約75パーセントが沖縄県に集中している問題が単に沖縄だけの問題ではないことを広く知らせることができる。実際、彼女のところには、新潟県の教会や地域の住民から、体験談を聞かせてほしいという依頼がときどききているようだった。

 主婦がホストの男性と付き合い始めて我が子を殺してしまった――こんなニュースがワイドショーで紹介されたことがある。番組のコメンテーターはおすぎさん。事件についての彼の一言には、意表を突くほどの説得力があった。
「女って、ほんとに分からないわねぇ!」
 双子で兄のピーコさんとともに「おかま」を自称するおすぎさん。同じことを、他の男性が話しても、女性が発言しても、これほどのインパクトはなかったはずだ。

 障害というテーマについても、同じことが言えそうだ。障害のプロフェッショナルである当事者や家族、専門家、ボランティア活動に積極的な人だけでなく、あらゆる人がそれぞれの立場で、自分なりに考えることができそうだ。まったく無関係とも思える人が真剣に発言することには強いインパクトがあるし、同様に無関係な人々の関心を集めることもできるだろう。

 問題を解決するためには、当事者としてより深く取り組む方法もあるけれど、広く関心を呼び起こしていくときには「当事者以外の理解者」という存在は、意外に重要だと思う。不特定多数の人が参加することで、障害やバリアフリーといったテーマは今より自然に扱われるようになるはずだ。

 大きな山の頂に通じるルートは、一つではない。専門家として困難なルートを選ぶ人もいれば、初心者としてやさしいルートを時間をかけて登る人もいる。また、視点を変えて新しいルートを開拓する人もいるだろう。どの道を選んでも、最終的には同じ目標に到達することができる。
 今は沖縄にいる彼女にも、そんなことを伝えたかったのだけれど。

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Last Update : 2003/02/24