週末育児とバリアフリー体験

バリアフリー観察記2002年

週末育児とバリアフリー体験

 バリアフリーの理解者としてとても有望なのは、親という立場の人たちだ。私自身、障害というテーマに接する機会はほとんどないけれど、育児を通して得たいくつかの経験は、気付かないところで困っている人たちがいるということに気付くきっかけになった。
 小さな子どもを連れて買い物に出かけると、目がまわるような妻の日常が少しは理解できる。何といっても荷物が多い。おむつ、お尻ふき、タオル、着替え、ほ乳瓶、ミルク用のお湯……。そのまま旅行に行けそうなほどのバッグを肩に担いで子どもを抱けば、買い物袋を下げる余裕なんてない。コンビニでの買い物が増えたのも、納得がいくというものだ。

 温泉旅行に出かけたときは、大食堂での食事に苦労した。2歳になったばかりの息子は、いつものように箸や食器、スプーンでテーブルを叩き、時折大きく雄叫びを上げる。その音にいらついた男性から「静かにさせて。どういう教育しているの?」とたしなめられる始末。そういう理由だから部屋に持ち帰って食べさせてもいいかとホテルの方に尋ねたけれど、衛生のために部屋での飲食は法律で禁止されているという。結局、その夜はミルクを与えて寝かせるしか方法がなかった。

 とはいえ、育児体験は大変なことばかりではない。ありがたかったのは、スーパーのレジで順番を譲ってもらったときだった。ぐずって機嫌が悪くなり、暴れ果てた末に眠り込んだ息子をかかえながら、いっぱいになった買い物カゴを持て余しているところに「どうぞ」と声をかけてくれたのは、50代くらいの女性だった。私一人なら、このような経験はできなかったはずだ。

 日曜大工ならぬ週末育児ではあるけれど、それまで気付きもしなかったことに気付き、考えもしなかったことを考えることが増えた。子どもが生まれてくるとき、私自身「五体満足」を願い、それが障害というものを自分自身の現実的な問題としてとらえた最初の経験だった。

 子どもが幼稚園に通うようになり、小学校に入学して時間が経っていくうちに、子育てのときに感じたいろいろな気持ちが、遠い記憶として消えていってしまう。でも、多くの人が経験する育児が、バリアフリーと結び付けられることなく忘れ去られてしまうことは、とてももったいなく思えてしまう。

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Last Update : 2003/02/24