「おひとりさま」への期待

バリアフリー観察記2002年

「おひとりさま」への期待

 一人で遊ぶ女性が増えているのだという。カラオケボックス、ゲームセンターなどは序の口で、パチンコ店や遊園地にさえ一人で行く。お腹が空けば、そのまま牛丼屋やラーメン屋にだって入っていく。彼氏がいないからではない。デートをする時間以外に、一人の時間を楽しみたいという人たちが増えているのだ。ところが、レストランでディナーを食べたりすると、一瞬、通常とは違う周囲の視線や反応を感じるという。
 年ごろの女性によるこのような単独行動が、一般的には「はずかしいこと」とされていることを知らなかった。でも、仕事帰りに一人で定食屋に立ち寄るのは気が引けるという知人が、確かにいる。

「年ごろの女性」であるというそれだけのことで、かくも周囲の反応が違うということは、とても興味深い事実だ。一人で食事をしたい、旅行をしたいという女性はいくらでもいるはずだけれど、世の中の判断の基準は、そういう人が「いるか、いないか」ではなく「いたか、いなかったか」だ。

 女性が社会に出て仕事をすることが当たり前になって、その分、疲れやストレスは男性と同じか、ともすればそれ以上のものをかかえるようになっている。疲れた自分を解放するために、だれにも邪魔されずに一人の時間を求めるのは、男女を問わず同じだろう。

 一人で遊ぶ女性、通称「おひとりさま」が日常的にさらされている奇異な視線は、障害がある人が感じているものと似ている。障害者を泊めたがらない旅館は少なくないし、レストランなどでも、一瞬、周囲の空気が変わる。人に危害を加えるわけでもなく、大声を上げて暴れるわけでもないけれど、これは一般的な反応のようだ。
 その意味で「おひとりさま」は、障害がある人たちの立場を実体験から理解できる立場にいる健常者と言えるのかもしれない。

 彼女たちへの期待を膨らませてしまうのは、そのほとんどが、障害者のことをあらためて考えたこともない、どこにでもいる人だということだ。まったく関係がない人、利害関係がない人が、実体験から障害がある人たちの立場を理解できることが、世の中を変えていく大きな力になると思うからだ。

 今後、女性が男性と同様に社会で活躍できる環境が整えられていく。同時に、おひとりさまは、確実にその数を増やしていくだろう。彼女たちが市民権を得たとき、障害を持つ人たちに対する世の中の理解は、今よりずっと進むのではないかと思う。

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Last Update : 2003/02/24