ロボットという家族

バリアフリー観察記2002年

ロボットという家族

 日本は、ロボット研究で世界の最先端を行っているらしい。二足歩行の人型ロボットの開発にいち早く成功したのは、日本の企業だった。コンピューターやIT(情報技術)が一段落した後に世界をリードしていくのは、このロボット開発だそうだ。
 家事や子育てといったことのほか、がれきの下から被災者を救出する災害ロボット、地雷を見付けて撤去する危険物処理ロボットなどなど、人間に近付いたロボットが活躍できそうな場面はいくらでもあり、そのニーズはまさに人の仕事の数ほどありそうだ。

 ロボットの活躍が期待されている分野の一つに、介護がある。少子化と高齢化が同時に、しかも世界最速のペースで進む日本にとって、介護ロボットの開発は極めて現実的なニーズに合致している。入浴や排泄など、肉体的な負担が大きな場面で活躍できるロボットが完成すれば、介護者の負担はずいぶんと軽減される。義理の母は60歳のときに父親を自宅で見取ったけれど、肉付きがよくて筋力が落ちた祖父の体を動かす作業は、まさに格闘といった感じだった。
 介護では、肉体的な苦労以上に精神的な苦労が大きいというけれど、肉体的な負担が減れば、精神も少しは解放されるだろう。

 そもそも、ロボットと人間的な付き合いができるのかは気になるところだが、動物の形をしたペット型ロボットが飛ぶように売れ、人面魚との対話を楽しむテレビゲーム「シーマン」が話題になったりしたことを思えば、結構、機械とも仲良くやっていけるのかもしれない。携帯電話のメールのやり取りだけで、会ったこともない人を愛せたりすることを考えても、人間の感情は、思っているよりはるかに単純な仕組みで動いているのかもしれないと思えてくる。

 人型ロボットの研究者には、1952年に発表された手塚治虫さんの名作「鉄腕アトム」を見て育った世代の人が多いという。二足歩行をしたり、相手の話に反応したり、表情を変えたり……。ロボットでありながら人間社会に溶け込んで存在するアトムを現実のものにするために、現在は機能面で人間に近付くための研究が急ピッチで進められている。
 完成が現実味を帯びてきた人型ロボットに理性や感情、意志を持たせて魂を入れ、ぬくもり型ロボットとして完成させるのは、鉄腕アトム世代の研究者より若い人たちだ。彼らが藤子・F・不二雄さん原作の「ドラえもん」(1969年発表)を見て育った世代というのは単なる偶然だろうか。

 ドジでのろまなのび太君をことあるごとに助けてくれる「ドラえもん」は、実は、れっきとしたネコ型ロボットだ。生き物のように振る舞っているためにそれとは気付かないけれど、頭には小型コンピューターが入っていて、食べた物を原子炉の胃袋でエネルギーに変えて動いている。その動物らしさは泣いたり病気になったり、蚊に刺されたりすることからも明らかだけれど、鼻や耳が壊れていて本来の能力を発揮できないという不完全さがより生き物らしさを強調している。
「アトム」にしても「ドラえもん」にしても、アニメが指し示した未来図を、それを見て育った人たちが実現していく好循環こそが、日本がロボット先進国である理由なのかもしれない。

 家族のように朝晩のあいさつをし、天気の話をし、趣味を楽しみ、テレビを見て一緒に笑う……。スイッチを切れば動かなくなるのだけれど、何となく気になる奴。そんなロボットがいつごろ家族に加わるのかは定かではない。とはいえ、昨今の技術革新のスピードを思えば、私が介護の手を必要とするころには、ロボットと茶飲み話でもしていそうだ。

 ところで、いつの日か完成するであろう高度な人型ロボットは、一体どこで売られるのだろう。ペット型ロボットが折り込みチラシで紹介されているように、街のおもちゃ屋さんや電機店なのだろうか。在庫一掃セールで安売りをされたり、古くなったロボットを下取りに出して新しいものを……なんてことにもなるのだろうか。ロボットが家族に加わる日がそう遠い先のことではないと思えてきたら、ついついそんなことが気になり始めた。

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Last Update : 2003/02/24