一文字のスペース

バリアフリー観察記2002年

一文字のスペース

 新聞や雑誌の広告を見ていて、連絡先として電話番号と一緒にファクシミリの番号を併記している会社を見付けると「きっと、耳や言葉が不自由な人にも配慮しているんだな」と思うようになった。彼らにとってはファクシミリや電子メールが、私にとっての電話と同様に重要なコミュニケーションツールだと知ってからのことだ。
 一般紙の第1面の下側には複数の出版社の広告が並んでいる。それを見ると電話番号だけのところ、ファクシミリの番号も併記しているところ、ホームページのアドレスも添えているところとまちまちだ。
 テレビを見ていると「詳しくは、資料をご請求ください」という案内に続けて、フリーダイヤルの番号が紹介されることがある。ところが、耳が不自由な人や言葉が不自由な人は電話をかけることができない。
 耳が遠くなったお年よりだって、電話だけならあきらめていたものが、ファクシミリがあるなら注文してみようという気になるかもしれない。24時間営業のコンビニの登場で若者は昼も夜もなく活動しているけれど、ファクシミリでの注文を受け付ければ、夜中でも彼らのニーズに無人で対応することが可能になる。

 自分が携わった雑誌の休刊が決まったとき「やっぱり、障害者関係の雑誌は売れないのですね」というハガキが届いた。創刊時には「バリアフリーをテーマにした雑誌が毎月店頭に並ぶなんて…」という応援の声をたくさんもらっていただけに、心苦しかった。
 力を尽くしたという思いがある一方で「やっぱり、自分たちは福祉の対象にしかなり得ないのか」と思わせてしまったのではないかと気になって「自分の存在までも否定されたような気持ちにはならないでほしい」と思った。本や雑誌が売れるかどうかは、あくまでも編集者の手腕の問題なのだ。

 雑誌の創刊当時、障害がある人たちからは「情報がない」とよく聞いた。だれにも打ち明けられない悩みを解決してくれるような情報は確かにないだろうと思ったが、もっと身近で日常的なことを知りたい、という要望が多かった。例えば、車いすに乗ったまま入れる映画館や美術館、ホテルや旅館、レストランはどこにあるのか、といったことだ。
 就職、転職、アルバイト、結婚、遊び、旅行、投資、独立開業、部屋選び……。書店やコンビニには、あらゆる情報誌がところ狭しと並んでいる。まさに情報は洪水のように溢れているにもかかわらず、彼らのまわりにだけは、いまだに情報の干ばつが続いている。

 でも、彼らが必要としているのは、車いす使用者専用の料理が用意されている店の情報でも、障害者向けの映画を上映している映画館の情報でもない。車いすに乗ったまま駐車場を使えるか、店内に入れるか、トイレを使えるか、といったことを知りたいのだ。そしてそもそも、障害者でも嫌な顔をされないかといったことなのだ。車いす使用者が必要としている情報は、自分たちだけが利用できるかどうかではなく、自分たちも利用できるかどうかだ。

 情報誌で紹介されている店については、所在地や電話番号、営業時間や定休日などが紹介されている。そこに、車いす使用者に対応した店である印として、車いすマークが一つ付くだけで、彼らの情報はそれこそ洪水のように一気にあふれ出す。たった一文字のスペースに収まる印一つで、世の中に氾濫する情報が共有できるようになる。

 句読点一つのスペースが、極度の情報不足を解消する可能性は想像を超えるほど大きい。雨ごいをすれば干ばつが収まるのなら祈りたいところだけれど、こればかりは一文字のスペースが秘めている力に、編集者に気付いてもらう以外に方法はない。

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Last Update : 2003/02/24