障害の盲点

バリアフリー観察記2002年

障害の盲点

 腕の形をしたロボットが火の粉を散らしながら次々と車を完成させていく――。1960年代後半に進められた工場のオートメーション化は、自動車業界の作業効率を大幅に上げた。
 機械化は、身のまわりのあらゆるところで進んでいる。今ではタバコ屋さんが自動販売機に代わっているし、銀行や郵便局での預け入れや引き出しも、立ち食いそば屋さんの食券販売も機械化されている。窓口で購入していた電車の乗車券は自動券売機で買うようになり、改札も自動になった。回転ずし屋に行けば、まさにベルトコンベアー式に目の前をお皿が流れていく。

 機械化には、少ない人手で大勢を相手にできるメリットがある。人件費を抑えながらも事業を拡大できるだけに、今後もあらゆる分野で機械化が進められていくはずだ。ところが、細部に行き届いたサービスや配慮が必要なものには向いていない。機械の扱いに慣れていない高齢者が、自動券売機の操作を間違えてもたついてしまったり、行き先までの料金表示が見えにくかったり、自動改札機にうまく切符を差し込めなかったり、ちょっと手を貸してほしいときに人がいなかったりと、これまでにはなかった不便が生まれている。

 買い物に出かけたとき、後ろで「ガコン!」と大きな音がしたかと思うと、閉まりかけた自動ドアに息子が頭を打ち付けていた。そこはパネルに手で触れて開けるタイプのドアで、後ろを追いかけてきた息子の悲劇だった。キョトンとしている息子を抱き起こしながら、目が不自由な人の激突事故が少なくないという話を思い出した。

 機械化は「無人化」と言い換えることができる。その結果、新たに不便を感じる人が生まれている。ところが、障害者の中に無人化を歓迎している人たちがいると知って、なるほどと思った。耳や言葉が不自由な人たちは会話によるコミュニケーションが難しく、行き先を伝えたりメニューを注文したりすることが苦手。それだけに、コミュニケーションを省略してサービスを受けられる無人化が歓迎されているという。自分で給油できるガソリンスタンドなら、一言も話すことなく好きな種類のガソリンを好きなだけ入れることができる。
 目が不自由な人も耳が不自由な人も手や足が不自由な人も、みんな「障害者」という一くくりで考えていたけれど、そのニーズは千差万別だった。

 視覚障害者というとつい、生まれ付きまったく見えない人を思い浮かべがちだ。ところが、実際には、そうではなかった。実は、全盲の人より弱視の人が圧倒的に多い。目が見えない人用の点字ブロックが目立つように黄色く塗られていることが不思議だったけれど、弱視の人たちがその色を頼りにしていた。また、点字といえば視覚障害者、手話といえば聴覚障害者のコミュニケーション手段だと思っていたが、途中で失明した人は点字が分からなかったり、途中で聞こえなくなった人は手話を使えなかったりするという。このことは、障害について抱いていたイメージの盲点だった。

 機械化一つを取ってみても、それで不便を感じている人もいれば、快適になったと喜んでいる人もいる。同じ種類の障害でも程度が違ったり、生まれ付きの人もいれば事故や病気で途中からという人もいる。そう考えたら老若男女、国籍や体力などの個人差を超えて万人が共通に使えるものなんて、おそらく存在しないのだと思えてくる。この多様なニーズを広くカバーすることを可能にするには、人の想像力意外にはない。

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Last Update : 2003/02/24