視覚障害者用出版の逆転満塁ホームラン

バリアフリー観察記2003年

視覚障害者用出版の逆転満塁ホームラン

 落とした小銭を見付けられない、魚の焼け具合が分からない、届いた郵便物を読むことができない……。視覚障害者には、できないことがいくつかある。「見える人よりも先にベストセラーを読むこと」も、その一つだ。
 理由ははっきりしている。読みたいと思った本があれば、それをボランティアなどの力を借りて「点字」に翻訳してもらって指で読んだり、朗読した声をカセットテープやCD−ROMに録音してもらって聞いているため、常に見える人の後追いになるのだ。希望の本を読める形で手にできるのは、読みたいと思ってから早くて3カ月、場合によっては半年も経ってから、ということは日常的だ。

 世の中には目が見える人用の出版と、見えない人用の出版があって、見える人用の出版は市場としてすでに確立している。だが、見えない人用の出版はあくまでも福祉的な位置付けだ。点訳したり音訳したりしたものが点字図書館から無料で貸し出される仕組みで、市場としては成立していない。そのことが、視覚障害者が「情報障害者」と呼ばれる要因の一つにもなっている。

 ところが、点字図書館の蔵書を見ると、かの『ハリー・ポッター』シリーズだって、『五体不満足』だって、一世を風靡した『「捨てる!」技術』だってそろっている。価格がついているかいないかの違いはあっても、その内容には全く違いがない。

 それならば、視覚障害者用の図書の制作を、通常の書籍の出版と同じと考えたらどうだろう。
 世の中には、出版されることなく消えていく原稿が実にたくさん存在する。多くの人がエッセイやコラムを書いたり、自分史を自費出版したりしているものの、その多くは日の目を見ることがない。これらの作者に、点字図書や録音図書といった出版形態を視覚障害者側が積極的にPRしない手はないのではないだろうか。

「無名な人の原稿は面白くない」などと考えるのは早計だ。
 売れっ子作家の作品は確かに面白いけれど、書くことで生活をしているわけではない無名な人の作品の中には、締め切りに追われることもなく、じっくりと時間をかけて仕上げられた一点物が存在する。1億総コラムニストとなった今の時代では、確率からしても面白い作品がたくさんあるはずだ。

 プロの作家であろうと趣味で文章を書いている人であろうと「一人でも多くの人に自分の作品を読んでほしい」というのが作者の素直な心情だ。より多くの情報がほしいという視覚障害者のニーズと作者の希望が合致するならば、本の売買はなくとも市場は成立する。
 視覚障害者用の図書市場で「面白い作品だ」と話題になれば、一般の書籍としての出版に道が開ける場合もあるだろう。その中からベストセラー作品が誕生すれば、それは「見える人よりも先にベストセラーを読む」ということさえ可能にする視覚障害者用出版の逆転満塁ホームランだ。

 相撲の世界では、新弟子のころからひいきの力士を応援し、その昇進を我がことのように楽しみにしている人たちがいる。目が不自由な人たちの中に「将来のベストセラー作家を応援してやろう」といった気持ちが生まれれば、視覚障害者用の図書市場で出版される作品のレベルは上がっていくことだろう。
 無名な人が書いた原稿を「面白いから音訳したい」と思う人がいて、それをぜひ所蔵したいと思う図書館があって、そこからたくさんの人に愛される作品に育つものが生まれる。それが視覚障害者が抱える極度の情報不足を解消することに貢献するならば、なんと愉快な話ではないか。

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Last Update : 2003/03/04