情報という最強兵器

バリアフリー観察記2003年

情報という最強兵器

 テレビ、ラジオ、新聞で流される情報はすべて政府にコントロールされている――連日の北朝鮮報道では喜び組やミサイル開発の話題も興味深かったけれど、一番関心を持ったのは、この情報統制についてだった。国産のテレビやラジオは国内の番組しか受信できないように作られていて、海外メーカーのものは、届け出て同様の改造を受けなければならないという。もちろん、外国に電話をかけたりインターネットにアクセスしたりする自由はない。その結果、訪朝した小泉純一郎首相に対して金正日総書記が拉致の事実を認めたことを、その後しばらく市民が知らずにいることが日本では驚きをもって紹介されたりした。

 あるテレビ番組では、この状況を「北朝鮮は現在も戦時下なのです」と解説していた。「戦時下」という言葉を意外に感じたが、北朝鮮と韓国の間で1950年に勃発した朝鮮戦争は、53年に交わされた休戦協定によってひとまず中断しているだけだった。
 50年もの間、休戦協定を理由に戦時下の態勢を維持したり国民がそれを信じたりできるものかと疑問に思ったが、日本でも同様に信じがたい出来事が現実に起こっている。
 太平洋戦争時にグアム島に派遣されて以来、28年間も密林に潜んで生き抜いた横井庄一さんが島民に発見されたのは、1972年のことだった。1974年にフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎(ひろお)さんは、終戦を知ることなく戦後29年間も現地警察を相手に任務のゲリラ活動を続けていた。いずれも、日本が高度成長期を駆け上がっている中での出来事だ。

 2001年10月8日に始まった米軍によるアフガニスタン空爆が、実は、現在も続いていたことを知らなかった。連日、映像や写真付きで最新情報を伝えていたテレビや新聞も、タリバン政権が崩壊し、その年の12月に暫定政権が発足して以降はアフガン攻撃について触れる機会が少なくなっていった。それとともに、アフガン攻撃はすでに終わったものだと思い込んでいた。
 だが、テロ組織のアルカイダを壊滅させることを目的に、今年2月にも民間人の死者が出るような激しい空爆があった(Link)。日本のメディアが報じない日も空爆は行われ、それは現在も続いている。

 ひとたび戦争が始まれば情報は意図的に加工され、武器としてばらまかれる――。それは一瞬にして世界中に広がって、誤解による反感や憎しみを心に芽生えさせる。感染力と影響力は、生物兵器さえも上回る。そんな思いから、アメリカによるイラク攻撃が始まった3月20日以降、折に触れて“中東のCNN”と称される「アルジャジーラ」のサイト(Link)にアクセスしている。無料の翻訳サービス(Link)でアラビア語を英語に翻訳し、それをさらに日本語にできるサイト(Link)で翻訳すれば、大まかな雰囲気ぐらいは理解できる。空爆によって無残に頭が吹き飛んだ子どもの写真は、アメリカやイギリスの立場ではなかなか載せることはできないだろう。

 テレビやラジオや新聞は、その日の出来事を毎日、詳細に伝えている。それだけに、ついついすべてを知っているような気になってしまう。ところが、そこには落とし穴がある。何を伝えるかは報道する側によって選択され、どう伝えるかは伝える側の意図によって変わる。攻撃するほうがあれば攻撃される側があるように、物事は常に正反対の立場があって成り立っている。たとえ情報が溢れていても、その双方の立場が伝えられているとは限らない。
 極端な情報統制を敷いて世界を敵に回すような北朝鮮の態度は奇異に見えるけれど、日本に住むアフガンの人たちからすれば、空爆が続いていたことを知らずにいた自分は、一方的な情報しか持っていない偏った人間に見えていたかもしれない。

トップへLink

Last Update : 2003/03/23