変わったのはどっち?

バリアフリー観察記2003年以降

変わったのはどっち?

「あの選手は天狗になった」
 記者仲間の食事会の席で、ある選手についてそんな話題が出たことがある。「天狗になった」と感じるのは、オリンピックの日本代表になってから、なかなか取材に応じてもらえなくなったからだという。確かに、その選手の取材は以前よりは難しくなっていた。だが、その話には、スッとは心に落ちてこない、なんとも釈然しない違和感が残った。

 オリンピックの代表になった選手たちは、それを機に、親戚や知人が急増したり、取材の依頼が殺到したりと、周囲の対応がそれまでとは急変する。以前とは違って、誰とでも気軽に接しにくくなるのは、その結果であったりもする。「天狗になった」と話した記者にしても、その選手に対する関心の強さは、オリンピック代表になる前と後では全く違っていたはずだ。

 この出来事と“似ているな”と感じたのは、拉致被害者の帰国報道を見ていたときだ。
 5人の日本人が24年ぶりに北朝鮮から帰国したのは、2002年10月15日。テレビは連日のように失踪当時の顔写真を映していたが、顔にしわが刻まれた白髪交じりの本人がタラップに立った瞬間は、まるで彼らが時空を越え、突如として姿を現したような不思議な光景だった。飛行機でわずか2時間しか離れていないところにいながら、24年間も消息がわからなかった意外さが、不思議な感覚の原因だ。

 彼らがタラップを下りてくるシーンやバスを降りてホテルに入っていく様子は、それからしばらく、テレビ画面から消えることはなかった。「5人は24年の空白を埋めることができるのか?」といった文字をセンセーショナルに映し出す画面を眺めながら、自分自身、同じ思いを持っていた。

 だが、拉致被害者やその家族の話は、実に意外な内容の連続だった。再会の感想を求められたあるお母さんは「私の中には20歳のときのイメージしかないから…」と話し、「○○さんは失った24年間を取り戻せるでしょうか?」という記者の質問に、被害者と面会した友人は「彼らは何も失っていなかった」と答えていた。当初、一時帰国扱いだった5人について、いったん北朝鮮に戻るかそのまま日本に留まるかが課題になったときには、永住帰国の強要に似た家族の言葉に対して、被害者自身が「私には私の24年間がある」と声を荒げたという話も紹介された。
 24年間を失ったのは、日本に残された人たちだった。被害者は日本を離れてはいたものの、1日1日、現実の生活を営んでいた。
 そう気付いた瞬間、釈然としないまま引っ掛かっていた冒頭の違和感が消えた。

 他人の変化には敏感でありながら、自分の変化にはなかなか気付けない。自分が変わったにもかかわらず、変わったのは相手側だと思ってしまう。目を開けば、他人の顔は見ることができる。だが、それだけでは見ることができない自分の顔を映す手鏡は、意識的に持つしかない。

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Last Update : 2005/01/08